無心になるのは難しいけれど、一つを意識するのは簡単です。
例えば、呼吸一つに心を集わせる。
自ら、呼吸の実況中継を始めます。
「空気を深く吸い込んだ」
「鼻を空気が抜けていく」
「喉を通った」
「肺に届いた」
「胸に空気が届き膨らんできた」
「息を細く長く吐き出している」
次に、向ける意識を三つくらいまで増やしてみます。
呼吸の実況中継に加えて、遠くの虫の音も意識する。
鼻が痒いな、手の指先を感じてみよう、エトセトラ。
今、起きていること。もしくは、起こしていること。
それらにだけ意識を向ける。此れすなわち集中です。
沢庵を切る、茶碗を洗う、袖を通す、紐を結ぶ、ペダルを漕ぐ、空を愛でる、改札にタッチ、喧騒を聞く、キーボードを叩く、荷を背負う、汗を拭う、チャックを下げる、泡の苦みを味わう、みかんの皮を剝く、雨を嗅ぐ、あなたを愛す、眠りに就く。
実況中継ができることだけに、心を置きます。
そこには、無用な不安など入り込む余地がありません。
未来の不安は、今起きているわけではないのですから。
今、生じていることに対峙をする。
文字通り、それこそが生きること。