名乗らぬ自由と無視する自由

自らは匿名のまま、他者を誹謗中傷することが容易な時代です。
それを問題視する流れもありますが、私は否定しない立場です。

人間とは、インターネットとは、そういうものだから。
法的にも、技術的にも、封じるのは難しいと思います。

あったんですよ、昔から。昭和の頃なら、無言電話か手紙でした。
筆跡で特定されぬよう、新聞から一文字ずつ切って貼って文章にして、遠く離れた街のポストに投函して、鉄壁の匿名には手間が必要でした。ワープロやマイコンの登場は、労力をかなり軽減させたのではないでしょうか。

匿名に隠れるという点では、大手メディアも似たようなものです。
記事に落ち度があり苦情を申し立てたところで、書いた本人は会社に守られ、取材源も秘され、名前が世間に出回ることはありません。主観で二次情報を発信する点でも、メディアとインターネットの書き込みは同じです。

匿名で物申すことも、あるいは表現の自由の一部だと考えます。
ただ、私はしません。だって人として恰好が悪い気がするから。

名乗らずに切り付けて来る奴は無礼者。昔から変わらない事です。
背後からしか物言えぬ弱虫の言葉など、およそ無視で良いのです。

 

 

© 2024 Kentaro TAKANO