口八丁と手八丁

人類が言葉を持つようになってから、善悪を問わず、口が達者であることが成功の条件でした。

群れのリーダーから政治家、経営者、医者、教師、マフィアのボスも法の番人も、神父も坊主も占い師も、夜の世界は言うに及ばず、果ては詐欺師まで。
特に通貨が発明されて以降は、口の上手い人間の下に、お金や異性や金魚のフンが、わかり易く集うようになりました。

スポーツ選手や格闘家、芸術家や芸能人も、決して例外ではありません。
スポンサーやタニマチ、何よりファンありきの世界ですから、同じ能力なら口が立つ者が上に行くふるいを幾度もくぐり抜けて、ようやく人々に知られる階層に登れます。

ラジオもテレビも、最近では動画サイトも、総じて口上手な人が顕示欲を発揮して演ずる媒体であり、妙なプライドに縛られた感のある『ペンの力』なるものは歯が立ちませんでした。

しかし、インターネットの発達により、口下手な人々も強い武器を得つつあるのかも知れません。

誰でも書籍が出版できる敷居になり、ブログも SNS も手軽でありながら、使い方によってはオールドメディアを凌駕する拡散力を秘めています。良し悪しはともかく『炎上』の破壊力は、それを私達に見せつけます。

動画を作るにしても、原稿を書けば AI が読み上げてくれる。
それどころか、意思を入力すれば原稿さえ代筆してくれるのです。

言葉は元来、口でも手でも編めるもの。
手で紡がれた言葉が、今までの口に匹敵する力を得れば、人類が共有する情報量は数倍になるでしょう。玉石混合でも分母が大きければ、有益な情報も増えるのは道理です。

書くこと、記すことの方が好きな私としては、新たな時代を歓迎するとともに、だからこそ丁寧に編むことを心掛けたいと思います。

© 2024 Kentaro TAKANO